島田でみんなのモヤモヤを集めることになった話 〜島田ジブンゴト新聞ができるまで〜

こんにちは。
映像制作やWeb制作をしている小野寺啓と言います。
15年間くらい都内で仕事をしたのち、2018年から島田市で暮らしています。

いまご覧になっているWebサイト「島田ジブンゴト新聞」の編集長をやっています。

島田ジブンゴト新聞は、島田のみんなの「ジブンゴト」を集めているWebサイトです。
このジブンゴトと言っているのは、島田の街のすごい人のすごい活動…とは限らないところが特徴です。
この辺について詳しくは島田ジブンゴト新聞とはというページに書いたのでもしよかったらそちらも読んでみてください。

で。

とにかく島田でみんなのモヤモヤとしたジブンゴトを集めるためには、まずは僕自身が自分のジブンゴトを発信しなければならないと思いました。
それで、一つ目の記事は編集長である僕自身のジブンゴトを載せようと思ったわけです。

二拠点居住だったあのころ

僕は島田に移ってからも仕事面では東京のこともやっており、静岡県内と東京都内を行き来しながら働いていました。
何度か言われたことがありますが、そういうのは「二拠点居住」と言うのだそうです。
地方と都会にそれぞれ拠点とする場所があって、行き来しながら暮らしている人というようなことなのだと思います。

毎回行き来するのはまあまあ大変でしたが、東京と静岡それぞれにやることがあって、それなりに楽しく暮らしていました。
ところが、ある出来事でその状況が一変することになりました。
同様のことはみんな経験したと思うのですが、新型コロナによって色々な影響が出たわけです。
僕の場合は、東京都内の仕事や、静岡県内の仕事の中でも特にイベントに関係するような仕事が軒並み中止になってしまったのです。

これはもちろん、収入の面では「大ピンチ!」です。
ぼおっとしていても仕方がないので、コロナ対策で色々と出てきた補助金や助成金の申請を出してどうにか急場をしのげそうな状態を作ることができたところで、自分が今まで経験したことがない状態になっていることに気がつきました。

「あれ、なんかちょっと、自分の時間が取れるぞ。ヒマになっちゃった!」
っということです。

そうだ、島田のことをやろう

僕は、都内に住んでいた時から島田に移って二拠点居住になってからもいつも何かしらやることがあり、「ヒマ」ということをあまり経験したことがなかったのです。
コロナの非常事態で、たまたまとはいえヒマを経験することになった僕は、これからどうしようか考えました。

それで、
「そうだ、島田のことをやろう。」
と、思い至ったのです。

東京の会社に営業をかけてもう一度東京の仕事をとり直すのではなくて、これを期に都内の仕事を整理して静岡県内や地元である島田に根付いたことをやりたいと思いました。

思ったはいいのですが、僕にはここで何をしたらいいのかが思いつきませんでした。
自分がこれまでにやってきたことは、映像やメディアの仕事がほとんです。
そんな自分が島田という場所でやれること、やるべきことはなんなのか考えあぐねてしまったのです。

友人などでやはり地方に移った人間の中には、人が集まる場所をつくっている人や、地元のお店を紹介するローカルメディアをつくっている人なんかもいたりします。
僕もそういうことをやればいいのかなと考えて色々話を聞いたりもしましたが、どうも今ひとつ自分にはしっくりこない気がしました。

モヤモヤするので、モヤモヤしよう!

そうはいっても、どんどんと時間は過ぎていくばかり。
もっと直接、自分自身が向かっていけそうな方向がどこなのかを考えてみることにしました。

自分の得意なことは、人に会って、話を聞いて、その人の良いところを引き出すことなんだろうなという想いが元々ありました。
でも、それをどうやったら仕事という形にできるんだろう。
都内にいてマスメディアとかの仕事をする時には、そういうことも少しはできていたかもしれない。
でも、それを島田という場所でやるにはどうしたらいいんだろう。
あー、モヤモヤするなあ。どうしよう…。

と、いうところまで考えて、気がつきました。
「そうだ。こういうモヤモヤを抱えている人はきっと他にもたくさんいるだろう!!」
そうしであるなら、そんなモヤモヤをみんなと一緒に探して、集めてみたら楽しいんじゃないのかな、と。

そうして、僕は『島田ジブンゴト新聞』を始めることにしたのでした。